讃岐民具連とジョージ ナカシマ

讃岐民具連の設立

かつて民衆が日常の生活用具として使い続けてきた様々な民具を、より洗練された新しい造形として再生しようという運動のもとに、民具連は昭和38年(1963)年に設立されました。

民具というものが永い時間洗礼を受け洗練された造形として、常に現代へと受け継がれてきたその姿を残しつつ、 且つ絶え間なく変化し続ける時代の感覚を、常に新しい形のなかに追い求めていくことを目指しました。 普遍的な精神を新しい造形の創造の中に試みる目的にそったものです。


1963年9月23日毎日新聞香川版に
「讃岐民具連」の発表が掲載

讃岐民具連とジョージ ナカシマ


ジョージナカシマ 彫刻家・流政之らと共に

四国・高松を愛し度々来高し、自ら「讃岐民具連」の一員に加わり制作活動を通じて讃岐の工芸職人たちと交流を図ってきた日系アメリカ人二世ジョージ・ナカシマは1990年6月、ニューホープの工房で他界した。 存命であればきっとまた次世代へ、この運動の継承にも温かい援助のてをさしのべていただけたであろう。

ジョージ・ナカシマは1964年、彫刻家・流政之の薦めで来日し高松に来る。 そこで大都市の影響を受けないで職人の手を活かしたプロダクトをつくり出そうとする運動の「讃岐民具連」を知りおおいに共鳴、自らその一員となる。 彼は戦前の日本でアントニン・レイモンドの設計事務所に席をおき、建築設計の仕事をしていた。日本建築士の草分け時代の事で、当時の同僚には前川國男や吉村順三などが、後輩には丹下健三などもいた頃のことだ。

その後インドやパリを歴訪しアメリカに戻るが第二次世界大戦の時は収容所に収監され、戦後帰国したレイモンドを頼ってニューホープに住みつき家具制作をはじめる。アメリカでは1952年建築学会のゴールドメダルを受けるなど早くから認められ、その作品はスミソニアン・アメリカ美術館、ボストン美術館、ビクトリア&アルバート美術館などに収蔵されている。
1986年にはメトロポリタン美術館ジャパンギャラリーの一室の家具を製作した。日本でも東京国立近代美術館、東京都現代美術館などに作品が置かれている文字通り世界的に知られる木工家具作家で木工家としてパイオニア的な存在の一人である。


1982年、永見眞一と共に念願の鹿児島県屋久島を訪れ、推定7200年 世界一の樹齢と言われる縄文杉を見るジョージナカシマ

ジョージ ナカシマ(1905~1990)

20世紀を代表する家具デザイナーの一人。
ジョージ ナカシマは日系の家具デザイナーとして、なによりも自然を愛し、木を愛し、日本を愛し、米国を愛した。
素材の美しさを限界まで生かす独特のデザインで広く世界に知られている。素材もさることながら、極めて高度な製作技術を要求するデザインでもある。
素材としての木に第二の人生を与えるという、ナカシマ独特の哲学と感性でぎりぎりまでに研ぎ澄まされた美しさは、今もなお愛嬢のミラ ナカシマの率いる米国ニューホープのジョージ ナカシマ ウッドワーカーの工房で作り続けられている。

我が国では、1968年東京新宿の小田急ハルクでの初の展覧会以来、10数回来日し、米国以外では唯一のパートナー工房である四国高松の桜製作所の永見眞一とともに展覧会作品の制作にあたってきた。 日本での発表以来、国内外の木工家に直接、間接に与えた影響は計り知れないものがある。

永見眞一(1923〜2015)

1923年高松市生まれ。建築設計技師から家具デザイナーに転ずる。 四国高松を拠点とする株式会社桜製作所は、ジョージ ナカシマデザインの家具の他高級注文家具、カスタムデザインの内装部材などのデザイン、制作をてがけてきた。1964年にジョージ ナカシマが初来日して以来、30数年にわたってナカシマの日本におけるパートナーとして、ナカシマとともにデザイン、制作に携わってきた。
ナカシマの没後も米国ニューホープの工房とは緊密な連携を保ち、1996年 会長に就任してからは現社長の永見宏介とともに確かな仕事を受け継いできた。
永見眞一はナカシマを敬愛するのみならず、彼の感性を深く理解し、自らも素材となる「木」を愛し、卓越した製作技術を熟知したデザイナーとして生涯現役を貫いた。