ジョージ ナカシマ George Nakashima(1905-1990)
1. コノイドチェア 2. ニューチェア 3. ニューチェアアーム 4. アームチェア
5. コノイドラウンジ 6. ラウンジチェア 7. ラウンジアーム 8. ラウンジロック
9. ラウンジアームロック 10. ミラチェアL 11. ミラチェアM 12. ミラチェアH
13. グラスシートチェア 14. グラスシートスツール 15. ストレートバックチェア 16. フォーレッグチェア
17. コノイドクッションチェア 18. コノイドクッションアーム 19. オダキュウクッション 20. グリーンロックオットマン
25. コノイドダイニング 26. フレンチマンズ コヴII ダイニング 27. ミングレンII ダイニング 28. サンソーテーブル
29. ラウンドテーブル 30. カードテーブル 31. ミルクハウステーブル 32. ケヴィンエンドテーブル
33. ミングレンサイドテーブル 34. ミングレンIコーヒーテーブル 35. ミングレンIIコーヒーテーブル 36. ミングレンIIローテーブル
37. コノイドデスク
38. ケース 39. ミラミラー 40. コーンブラットケース 41. オダキュウキャビネット
45. ケントホールランプ 46. ナカシマデスクランプ I 47. ナカシマデスクランプ II 48. アサノハフロアランプ
49. アサノハテーブルランプ 50. ミングレンアンドンH 51. ミングレンアンドンL
プロフィール Profile
生涯、デザイナーよりも「木匠」と呼ばれることにこだわったジョージ ナカシマはアメリカ国籍の日系二世。ワシントン州のシアトルで育ち、大学で森林学、後に建築学を学びました。その後、建築家として経験を積んだものの、当時の米国現代建築を見て失望し、全てを自身で統合してできる家具づくりの道を選ぶことにしました。アメリカ・ペンシルベニア州ニューホープで手に入れた未開の森を切り開いて工房を作り、木と対話しながら、木に第2の人生を与えるという理念で家具を制作。世界的に評価されることとなりました。
1964年、彫刻家・流 政之の薦めで初めて高松 桜製作所へ。人々の間で古くから伝承され、使い続けられてきた民具を、より洗練された新しい形で再生しようとする運動から設立された「讃岐民具連」を知り、参加しました。
また、桜製作所の協力を得て、1968年から計8回のジョージ ナカシマ展を東京で開催するなど、積極的に活動の場を広げていました。
1990年に亡くなった後も、ナカシマデザインの家具は、アメリカ・ニューホープの工房と四国高松の桜製作所の2ヶ所でつくり続けられ、今もなお、彼のものづくりの精神が脈々と引き継がれています。
年譜 Chronology
1905年
ジャーナリストでアメリカに移住した中島勝治と寿々の長男としてワシントン州スポケーンに生まれる
1923年
ワシントン大学に入学。2年間林学を専攻、その後建築学に転向
1929年
ワシントン大学卒業後ハーバード大学大学院に進むが、すぐにマサチューセッツ工科大学(MIT)大学院に移籍する
1933年
世界一周の旅に出る
ロンドン・パリに滞在
小さな音楽出版社に勤めながら、フランス建築やル・コルビュジエのスイス館の建築現場に足しげく通う
1934年
パリを発ち、インド・中国経由で日本に向かい、東京蒲田の母方の祖母の家に落ち着く
帝国ホテル建設の際にフランク・ロイド・ライトに伴って来日し、東京に事務所を開設した A・レーモンドの建築事務所に入所
同僚には、前川國男・吉村順三がいた
1935年
軽井沢聖パウロカトリック教会の設計と家具の設計に携わる
1937年
レーモンド建築事務所の現場管理者としてインドに向かう
ヒンドゥー教の導師と共に暮らす生活共同体の居住施設の設計に携わり、2年間修道者との共同生活を営む
1939年
日本に戻り、独立して事務所を設立した前川國男の仕事を手伝う
そこでは大学を卒業したばかりの丹下健三が所員のひとりだった
1940年
アメリカ生まれの英語教師岡島マリオン(すみれ)と婚約、ワシントン州に戻る
1941年
マリオンと結婚
シアトルからカリフォルニアまでアメリカの建築視察旅行に出掛ける
フランク・ロイド・ライトの仕事に失望し、自身が最初から最後まで統合できる新しい職業を見つけることを決心、家具の世界に踏み込む
1942年
太平洋戦争のため、アイダホ州ミニドカ・キャンプに家族とともに抑留される
そこで日本人大工と知り合い、基本的な木工技術と木についての知識を得る
1943年
A・レーモンドが経営するペンシルベニア州ニューホープの農場に家族で移住、農場で働く
1944年
ニューホープ近郊のペンシルベニア州バックス郡の小さい家のガレージを工房として 、 デザインから製作まで一貫した家具作りを始める
1946年
ある地主から3エーカーの土地を譲り受け、ノール社のため量産向けの椅子(アームチェアー)を発表
1957年
ニューホープのコノイド・スタジオ完成(自身の設計)
1964年
インドのアーメダバードの国立デザイン研究所に向かう途中来日、早稲田大学で講師を務め、カトリック桂教会の現場を視察
流 政之の紹介で高松 桜製作所を訪問、独自の一貫生産による木工業の理念を教え始める
1963年に設立された讃岐民具連とも親交を結ぶ
1968年
第1回「ジョージ・ナカシマ」展開催(小田急ハルク)
〈ミングレン〉シリーズの家具を発表
1969年
コノイド・スタジオの敷地内にMUSEUM MINGUREN (民具連会館)を開館
ベン・シャーンのモザイク壁画で外壁を飾る
1970年
第2回「ジョージ・ナカシマ」展開催
1973年
第3回「ジョージ・ナカシマ」展開催
ロックフェラー邸の設計を吉村順三が担当、220点以上の家具をナカシマが製作
1976年
高松顕、永見眞一がニューホープ、ジョージ ナカシマのスタジオを訪問
1978年
第4回「ジョージ・ナカシマ」展開催
1981年
『The Soul of a Tree - A Woodworker’s Reflections』(『木のこころ』SD選書、鹿島出版会)を出版
1982年
第5回「ジョージ・ナカシマ」展開催
1987年
第6回「ジョージ・ナカシマ」展開催
最後の来日
1988年
第7回「ジョージ・ナカシマ」展開催
娘のミラ・ナカシマが代理として来日、展示指導を行う
1989年
「ジョージ・ナカシマ:フル・サークル」回顧展開催
全米を巡回
1990年
ペンシルベニア州ニューホープにて病没
1991年
第8回「ジョージ・ナカシマ」展開催
1993年
「木のこころ-ジョージ・ナカシマ」展開催
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